お疲れ様です。
「仕事にはお酒がつきもの」――そう思わせてくれたのは、身近にいた父の存在でした。
毎晩酔っぱらって帰ってくる父。朝は早く起きて家を出る父。
子どもながらに「この人、どうやって生きているんだろう」と思っていました。
あの働き方と飲み方が、後に私自身の働き方や健康への向き合い方に大きな影響を与えることになりました。
お疲れ様です。
わたしが仕事にはお酒がつきものだと、働いて稼ぐのって大変なんだなと小さいながらにも一番身近に感じられていたのは父親の存在があったからです。
父親が酒を飲まな日はほとんど見たことがない、いや、そもそも家にいることがあんまりない笑
毎日酔って帰ってくるのがほとんどで、午前様も当たり前。
それでも、朝早く起きて、わたしが起きる頃には勉強、朝食を済ませて家を出ようとしているわけだから、 どんだけ超人なんだと思っていました。 とあるCMでもありましたよね。
「24時間働けますか?」
いやいや、私は無理です絶対に無理。
それでも、世の中には働き方改革とは無縁で長時間働いている人がたくさんいるわけだから、本当にご苦労様です。
たまに早く帰ってくると母親が、「あれ!今日は早い!どうしたの!?」と、びっくりしながら嬉しそうに。
そうだよ親父、おかんはあんたのことを心配していたのだよ。
だけど言ったって仕方がないから、あんまり声をかけないだけ。
そういや、一時は離婚するのか?なんて思ったこともあって、家の事を顧みないというか、当時はそういうものだったのか。
母親から「どっちについていく?」と聞かれたことは鮮明に覚えているけど、「離婚したらどっちにもついていかない」と、中学生ながらにハッキリ言ったことは覚えていてる。
詳しいことはわからないが、その後、離婚話はなくなったからよかったけど、飲んで帰ってくる生活は変わっていなかったのと、母親も理解があったな。そういうものだと。
1.日本人の働き方
近年は、働き方改革で労働時間の抑制、36協定、テレワークやフレックスなど、週4日勤務など、多様な働き方が徐々に広まっている。
ただし、企業文化や慣習が根強く、浸透していくのにはまだまだ時間がかかると思うし、「長時間労働=忠誠心」みたいに考えてる人も少なくないので、こういう人たちが上の立場いると、なかなか変わるのは難しいんだろうな~と思う。
父親が勤めた会社は名の知れた会社ではあったけど、自分の健康を害するような働き方、仕事第一で家族との時間を犠牲にしてまで仕事を中心にした働き方で、でも当時はそれが普通だったのだろう。
ところがそれを継続した結果、どうなっただろうか。
終身雇用で一度勤めたら最後までやり抜く。となれば、当然同僚との付き合いも深いほうがいいし、人によってはプライベートに踏み込んだ付き合いもしていたかと思う。
だけど、会社は都合のいいように人を扱う。
業績が悪くなればリストラを行い、数十年積み重ねてきたものも無くなってしまう。 父親もその対象となり、運よく自分の力を活かして他社で働けていたが、皆が皆そうかというとそんなこともない。
2.50代前半で身体を壊す
ストレスが溜まる状況で酒を飲んでストレス解消することも、当時の状況からすれば必要だったのだと思う。
しかし、50代前半で急性膵炎を起こし、急遽入院。父親は自分の症状を話した柄ないので詳しいことはわからないが、2~3週間で退院とはいかなかったので、重症だったのだと思われる。
急性膵炎になると、膵臓の機能が低下し、体内のインスリン分泌が不安定になることで、血糖値が高くなったり低くなったりすることがあるらしい。
それで、糖尿病リスクが大幅に上昇するようである。
その後、糖尿病を発症し、食事管理などを行うが、発症すると体が糖を利用できず、脂肪や筋肉を分解してエネルギーを作り出して体重が減少してしまう傾向があり、父親もそれに当てはまる。どんどん痩せていってしまった。
それでも、酒もたばこもやめることはなかったが、以前よりは摂生するようにはなりました。
3.わたしが働くようになってから
わたしが社会人になると、働いてお金を稼ぐことがどれだけ大変かをはじめて実感し、親への感謝の気持ちが徐々に湧いてきて、年に何度か男二人で食事に行くこともあった。
父親はとてもうれしそうに、上機嫌だったし、これから少しでも良い関係を気づければと思ったりもした。
しかし、身体が疲れてしまうのか、年齢を重ねるたびに、誘ってもあまり付き合わなくなるようになった。
明確に口にはしなかったけど、糖尿病になってからかなり痩せたし、体の節々も痛みがあったようで、本当は結構辛かったんだろうなと思う。
そして、亡くなる2年ほど前に、二人で飲みに行ったときに突然、「あの時あんなにやらなきゃなぁ。。。ほんとなんだ」と、口下手父親が発言したわけだが
「若いころに無茶してひどく飲まなければ、今ごろもう少し健康的で長生きもできただろうになぁ~」
ということを言いたかったのだと思う。
そのあと、定期健診で肺がんが見つかり、手術を行うも体力が持たず、亡くなってしまった。
4.反面教師にできなかったわたし
酒飲んでハシゴして最後は〆のラーメンして、睡眠不足な状態で仕事して、それでも空腹感を迎えると気持ち悪くなるから、麺類などの食べやすいものを無理やり食べて、そんな生活を繰り返して「痛風」になったし、親父を見てきたのに、親父が亡くなった後も飲んでいた。
いや、むしろ亡くなってからより飲む量が増えてしまった。
なぜもっと早く気がつくことができなかったのか、当時の自分を説教してやりたい。
5.コロナ禍で自分を見つめる
仕事第一、誘われた飲み会も断らずに、嫌でも参加する。それをすれば、家族との時間も、お金も、健康も、すべて犠牲にすることになる。 それをまだあと何十年も続けるのかと思ったら、「いやそれは無理!」となった。
だから、これは自分でなんとかするしかないという志向に切り替えて、思い切って断酒を始めた。
まずは手放すこと。
行きたくない飲み会、面倒な人付き合い、淡々と仕事に集中すること。
長時間労働=忠誠心、責任感がある、頑張っている。
この薄っぺらい呪縛から解き放たれること。
家族との時間、自分の時間、お金、健康、今までやりたかったこと、睡眠など、自分が本当に大切にしたいと思うことを一番に考え、今の仕事はあくまでも「生活手段」とすること。
むしろ、限られた時間で今までかそれ以上の成果を出すことを意識し、無駄な仕事を手放すこと。
若いやる気のある人に仕事を引き継ぐこと。
フレックス、有休を多用し、自分のペースで働くこと。 断酒を開始し、この1年でようやくそれが定着してきた気がします。
大変遅くなりました。
まとめ
父の姿を見てきたにもかかわらず、私は長い間お酒を手放せませんでした。
でも、コロナ禍を機に「このままでは人生がもったいない」と思い、断酒を決意。
自分の生活も、家族や自分の時間も、健康も、すべてを大切にする働き方にシフトしました。
長時間働く=頑張っている、という呪縛から自由になった今、私はようやく自分のペースで、最大限に成果を出す働き方を手に入れつつあります。
父の姿は決して理想ではありませんでしたが、私にとっては大切な人生の反面教師であり尊敬できる人生の先輩。
今は、家族との時間や自分の健康を守りながら、しっかり働くという新しい選択肢を、しっかり実感しています。